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2013年12月11日 (水)

ストロベリーショートケーキラムⅠ

ストロベリーショートケーキラム 中島 桃果子


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 CITY。シティ。

シティ、という言葉には妖力がある。言葉が煌めいている。

NY、Paris、そしてトウキョウ。

そこにはキラキラしたものや、情報や、音楽や、お洋服や靴なんかも溢れていて、そこにいるだけでなにか自分が底上げされた新しいStageに立っているような心地よいまどろみに巻かれて我を忘れる。けれど、ほんとうはそこには「生活」しかない。

諸君!この土地で夢を叶えたければ、まず「生活」をクリアすることだよ。

  

Pay for the rent. ペイ、フォー、ザ、レント! 

シティに住むということはすなわちこれだ。まず家賃を払いたまえ! 

 この街に住んでいる対価をこの街に払い続ける。それだけのために時計はぐるぐる回り、しだいにどんどん、そのことを中心に自分の生活、ひいては人生が時計の針のごとくまわりはじめる。ペイ・フォー・ザ・レント。ペイ・フォア・ジ・レント!そして人は夢を忘れてゆく。街に爪先をつけて空に飛ぶつもりが、いつのまにか街のために生きている。それはまるで知らないうちに立場が逆転してゆく男女関係のよう。街を組み敷くつもりが街に組み敷かれている。ペイ・4・the・レントをあなどってはいけない。

ディス、イズ、ジ、ニューヨークシティ!街は要求してくる。ディスイズNYC。君はその土地の養分を吸って生きている、シティの養分を。さあその対価を支払うのだ。この街をスターバックス片手に闊歩し、ブルックリンブリッジの奥に沈んでゆく西日を眺めて日々を過ごす対価を。

そして君、ちょっとでもそのhow to pay【支払い方】を間違ってごらん。

君のトロッコはあっという間に滑走してゆく、君の描いた放物線とはまるで違う曲線を描いて。エンパイアステートビルを背中に回して、地下に地下に、トロッコは滑走していく。

街は、コントロールを失った君を、ワニのように大口を開けて飲み込む。あっという間に飲み込まれた君はその胃袋の中だ。そしてその場所にも慣れる。そんな人間がこの街には溢れている。地下にはおもしろいやつらがたくさんいるよ、悪くない。地下っていったって別にほんとうに地下ではないし胃袋っていったってほんとうに胃袋の中じゃない。ただ、このシティの、陽の当たらない部分を歩くっていうだけのことだよ。

それからもうひとつ。

コントロールを失ってる状態っていうのは「ある種の低音の旋律に慣れてしまう」っていうことなんだ。ハンドルが効かないと焦っているときは、まだ君の人生は君のコントロール下にある。

夢を叶えたい?じゃあ、そんな君へのとっておきの秘策。

Pay 4 the rentをクリアすること。

それさえ見誤らなければ、まっとうにトロッコは進んでゆく。

ペイ・フォー・ザ・レントが都市生活のすべて。そしてそれはシティのほんのスタートライン。レントをクリアしたからといって夢が叶うわけじゃない。

 この街に住んでいれば、素敵な映画に出てくるレストランで食事ができる。ほんの八十ドルほど払えば「プラダを着た悪魔」に出てくるスミス&ウォレンスキーのステーキだって食べられる。けれど君は、ステーキを食べただけで、その映画に出たわけじゃないし、その版権を持っているわけじゃない。

 ビクトリアシークレットでしこたまお洒落な下着を買ったって、君が店の表の看板の中で、その下着をつけて笑っているわけじゃない。そしてもうひとつ、この街で、その看板の女の子になったからといって、人生はなにも変わらない。たったひとつの成功で生き存えることができるほど、この街は甘くないんだ。

 ステップ2。そこでの秘訣もただ一つ。

 

 Goes On、ゴーズオン。

 

進み続けることだよ、何があっても。生きるっていうことはそういうことだよ。転んだまま、立ち上がらない人間の屍は、膨大な街の踵が踏みつけてゆく。

 

 —so we beat on boats against the current, borne back ceaselessly  

 into the past.

 前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え 

 間なく過去へと押し戻されながら。

 

 かの有名なジェラルド・フィッツジェラルド氏のお墓にだってこう刻まれている。グレートギャッツビーの中に書かれた台詞だよ。フィッツジェラルドと言えば、妻のゼルダの日記を自分の作中にずいぶん切り貼りをした。

 

 彼女はほんとうに、狂騒の二十年代というジャズエイジを、浪費だけをし、駆け抜け死んでいったフラッパーだったんだろうか? 君はどう思う?

 僕は彼女に、なにかしら「智恵子抄」の高村智恵子的なものを感じる。

 智恵子は檸檬をガリリと噛んだだけじゃない。彼女は「青鞜」の創刊号の装画を手がけるほどに、才能豊かな画家だったんだ。芸術家だったんだよ、れっきとした、ね。

 ゼルダ、君はほんとうに、“愛”と“資本主義”を巡る冒険のなかで、退屈をもてあまし、普通に生きて、普通に壊れて死んだのか? それとも……

 

 —借りるだけなら誰でもできるのに全人生が仕事でなければいけな 

  いわけはある?

 

 ゼルダ、君はそう言ったんだね。卒業写真の下にそう記した。けれどゼルダ、誰にでもできるはずのレント【借用】のペイ【支払い】は、誰にでも、は、できないんだ。まっとうに、という要素を付け加えたときにね、お金だけでは済まなくなるんだ。君はいま、そのことをきっとよくよく知ってるね。

 だからこそすべてなんだ。

 

 ペイ・フォア・ザ・レント【Pay 4 the rent】は、人生と夢のすべてなんだ。先行投資と言っても言い。

 

 忘れちゃいけないよ、夢の隣に人が立つと、それがとても「儚く」なることを。

 

 そう、だから、シティで一番タフなのは、夢を持たない人たち。この街で、生きる、ということ以外に特になにかを成し遂げようなどという野望を持たないひとたち。

 そのひとたちは、儚くなった夢追い人が街に捧げる支払い(ペイメント)と忍耐(ペイシェント)で保たれるキラキラの街で、その養分と輝きを存分に享受し、心を肥らせて生きている。夢がないから焦ることもない。

 時計の針の回転と自分の年の重なりに反比例する「まだ成し遂げていないこと」おびえる必要もない。

 そういうひとは、ささやかでも幸福に生きている。ダウンタウンの、ブリーカー通りの近くに住むラムのように。

 

 彼女はストリッパーだけど、家賃を払うだけの存分のお金がある。髪は毛先が、赤紫と言ってもいい濃いピンク、その他の部分は、お気に入りの淡いピンク色に染められ、マノロブラニクの靴で石畳を鳴らしながら家路につく。

 

 この春先に近所にオープンした、気さくで仲の良い若い夫婦が二人で経営する、小さなイタリアンレストランがお気に入りで、昨夜は激辛のアラビアータを注文して、夜中にお腹をこわした。お尻はヒリヒリするけれど彼女は幸せだ。なぜならそのレストランがとても好きだから。そしてその若い夫婦と、その夫婦の温かい接客がとても好きだから。そして、激辛のアラビアータは、彼女の胃腸とは相性が悪かったが、コクがあって、絶品だったから。

 

 このとてつもなく変わったペンネが何に似ているかを彼女は考えた。切り目をたくさんいれてからビロビローンと伸ばす、提灯型の紙細工に似ているかもしれない。バンドネオンにも似ている。ソーセージにたくさん切り目をつけてソーセージアートを作ったらこんな形になるかもしれない。あるいは日本の板前さんが大根で器用に作る、器のはしっこに置かれる何か。

 店長のAKYが、真っ赤な顔をしてふうふう言いながら食べるラムを見て、額の汗をぬぐいながら笑った。次はもうすこし辛くないのを作りますね。相方のMEGちゃんが、帰りに手作りクッキーをひとつくれた。

 

 幸福こそが最大の勝利だ。

 夢を持つことはすばらしいことだなんて、一体誰が言ったんだろう。

 夢を持つことは、深夜の地下鉄にひとりで乗ることよりもずっと危険なことなのに。

 

 夢を叶えなくちゃという思い込みは、幸福を摩耗する。

 ラムは、ある地点で、そのルーティーンを放棄した。

 もしかしたら低音に慣れてしまったのかもしれない。

 でもあるいはその逆なのかも。

 ワニの胃袋の中にいるのか、それに腰掛けてマフィンを食べているのか。

 それは彼女にもわからない。マグノリアベーカリーのマフィンは意外に美味しい。

 彼女がショーウインドウを見て考えることはそれだけだ。

 

 

      ♀♂ ♀♂ ♀♂

 

 

 排泄って苦しみを伴うときですらなんか快感。

「Vouge」を片手にトイレにこもりながらそんなことをふと考える。

 人生は「入れて出して」の繰り返しだけで成立していると言ったひとがいた。小学校に入って、それから、出る。プールに入って、それから出る。洋服の中にからだを入れて、それから出す。口から食べ物を入れて、お尻から、出す。お尻以外からも、出す。男のひとのアレを、入れたり出したり、せわしなく繰り返して、最後に液体を入れて、十カ月後に赤ん坊という固体を出す。親のからだから出てきて、最後は棺に入る。ほんとうだ、入れて出してばっかり。

 

 けれどなんにしろ、からだから何かを出すということは、ある種の快楽を伴っているような気がするな。タンポンとかも、入れるときよりも、抜き取るときの方が、なんとなく楽しい。「ぁ」って感じがする。小さい「ぁ」。デトックスよ、デトックス。それにしても今日のアラビアータは辛かった。辛くて旨くて、旨くて辛くて、辛くて旨かった。癖になる、ということはこういうところが入り口なんだろう。

 

 トイレから出て、冷蔵庫で冷やしておいたストロベリーダイキリ=フィズの小瓶をきゅっと開けて、口にピンクの液体を流し込む。なにかを出したら、なにかを入れなきゃ。

 

 あのレストランには、失ってしまった何か、または、一生手に入らない何か、があるような気がして、手に入れたいという野望さえも持たなくなってしまった今は、それを眺めるだけで幸せになれる気がしてそこに通う。

 

 失ってしまった何か。または一生手に入らない何か。

 それは、ひと組の男女が互いを信じて寄り添い合う様とか、男のひとに夢があって、それを支えることが女のひとの夢でもあるような未来予想図。それらが無理矢理にとか誇張とかなくして、ナチュラルに成り立っている、いや、成り立っているなんて角張った言葉を使わなくとも「そこに在る」様。

 

 ウエストヴィレッジの7th Avenue Perry Streetの交わる角にある小さなレストラン「OSTERIA AKY」はシティらしからならぬ純朴な空気に満ちていて、その酸素大系の中では自分は生きてゆけないとわかっているので、いや、わかっているからこそ、そこの空気を帰りに吸い込むことが好きだった。

 

 一週間の休みをとって、買い付けという名のささやかな新婚旅行でイタリアに出かけたふたりが、あの長ぐつの形の島のあちこちでみつくろってきた小物たち——イタリア土産の新しい看板や、ミニチュアのような置物——は彼等の世界をぐっと濃くして、小さな店内はより温かく燦めいていた。

 ダイヤモンドを見つけられない、というよりは、まあまあ大切なものが回りに増えすぎた。と、ラムは思った。それらがそれなりのところに配置された酸素大系の中でラムは呼吸している。いや、呼吸していた。ルディに出会うまでは。まったくルディときたら調子が狂ってしまう。とりあえずそのことを考えるのはやめて。

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 お腹が痛くなって深夜に起きたら15《イチゴ》は帰ってしまったみたいだった。

 

 15《イチゴ》の為にAKYで包んでもらった四種類のチーズのピザはきれいにたいらげられた後だった。木曜の晩はどこかに帰るのだ。それがどこかラムも知らない。だって15《イチゴ》は話せないから。いや、話さないのかもしれない。ともかくそれが契約だ。エージェントがよこした15《イチゴ》と、ラムとの。

 

 ラムの家からストロベリーショートケーキの絵がなくなって、かわりにその絵そっくりの15《イチゴ》がきた。ラムの家からあの絵を奪ったときから、ラムはローゼオをどこか見限った。けれども15《イチゴ》を寄越したことは事態を大変よく解っているので、ラムはエージェントのボスであるローゼオといまのところ同盟を結んでいる。

 

 自分の家にあの絵があることはラムにとってなによりも大切なこと、むしろある意味ではライフそのものと言えたので、いま、この家に15《イチゴ》がいることは、ラムの生活の中でもっとも大切な出来事だった。15《イチゴ》はラムの身の回りのことをすべて行い、普段は泊まりこんで、木曜だけどこかへ帰った。あの絵の中に還っているのかもしれないとラムは本気で思っていた。それほどに15《イチゴ》はリアリティがなかった。髪は苺のように赤く、黄緑のメッシュを太めに一本入れて、腕には「15」という数字がバロック調のフォントで刻まれている。マグノリアベーカリーのRed Velvetが好き。真っ赤なチェリーレッドのマフィンの上に、つもった雪のように真っ白なクリームが乗っかっている、コントラストが美しいあれ。

 

 はじめラムはこのクリームを甘すぎると思った。けれど対して下の真っ赤なマフィンがあまりにも木イチゴ的に酸っぱい、その絶妙の組み合わせにたちまち惚れた。以来ラムも、このマフィンばかり買っている。

 

 ふと、そういえば小包が玄関に置かれていたのを思い出して、お腹をさすりながらそれを見にいってみた。送り主はルディで、ダンボールを開けると、バカルディのストロベリーダイキリが六本入っていた。750mlの大瓶のやつ。ラムが飲んでいるのはもうできあがったストロベリーダイキリ=フィズの小瓶なのに。ほんとにお馬鹿なルディ。これを飲むには、グラスに氷を入れてこのリキュールを注ぎ、さらに炭酸を継ぎ足さなくてはならない。

 

 そこまでして飲むほどにこのお酒を好きではないのに。わたし、特にRUMが嫌いなの。

 

 ラムは思った。その人間が身近に置いているものを、ほんとうに心から愛しているって、どうして彼は信じこめるのだろう。わたしが一番愛しているあの絵は、もうわたしの手にないというのに。

 

 このストロベリーダイキリ=フィズは店に届く協賛品の余りだった。

 

 ラムは週末だけ、Varick Streetの角にある、はみだしものばかりが集まる、言い換えればアーティなサロン「ロドクルゥン」のショータイムに、からだに暗闇で光る絵の具でペイントをして、ストリップをしている。このストロベリーダイキリ=フィズはストリップのおまけのようなもの。ピンクの髪のラムに、ストロベリーが似合うと皆がくれる。RUMは好きじゃないけど、透きとおる淡いピンクの液体はちょっぴり何か面白いことが起きそうな予感をくれるので、持って帰る。それで冷蔵庫の中はストロベリーダイキリ=フィズで一杯なのであった。ルディはそれを見て、わたしがこれを溺愛していると思ったのだ。

 

 なんてお馬鹿なの。思いながらラムはどことなく気付いていた。自分の中の酸素大系が彼のせいでバランスを失いつつあること。ふと見たときに食べていたものを好物だと思って、それを与え続けること。かつておばあちゃんや、おじいちゃんが、ラムにそういう鬱陶しいほどの愛を与えてくれた。たいして好きではない同じ味の繰り返しに飽き飽きしながらも、それを渡してもらうときに胸の奥が嬉しい音をたてていた。このニューヨークの街ではラムにそんなことをしてくれる男はいなかった。

You are saying that I am like a little girl who doesn,t know anything about a world...(まるでわたしが小さな子どもみたいじゃないの)

 ラムは、ずっしりと重たいピンクの大瓶をかかえて呟いた。なんだか気恥ずかしかった。

 

 そしてそんな気恥ずかしさを自分に与えるルディを「悪くない」と思った。

「君のこと、そんな風に“物”みたいに扱えるわけがないじゃないか」

 最初にこの部屋でストロベリーダイキリを飲んだとき、ルディはそう言って萎えてしまった。やっぱり木曜の晩で15《イチゴ》はいなかった。

 なんで。めちゃくちゃにしていいよって言ったら男はみんな喜ぶのに。

 

 —物みたいに扱えるわけないじゃないか

 

 ルディの心がとても綺麗なのか、わたしが“物”みたいに扱われるのに慣れてしまったのかどっちなんだろう。あるいはその両方か。

 

 セックスのときにあそこがきゅうんとすることはあっても、胸の奥がコトンと音をたてたのは初めてのことだった。

 

 ルディは何かが違う。これまでとは違う何かが始まっている。ラムは思った。

 でもこの複雑な酸素体系を変えることがわたしにできるの? いまさら。

 

 ルディは「スティファニー」という画家の絵のコレクターで、「スティファニー」は元キュレーターの、ロシア風ブロンド美人。その容姿と大胆な作風のギャップで、話題の画家だ。

 

 そして、その絵を描いているのは、実は、わたし。

 

 ラムは、「ステファニー」の、ゴーストドロワーだった。

 

 もちろんそのことを、ルディは知らない。だって自分はブロードウェイの女優だと説明していたから。

 

 そしてルディの家に、あの「ストロベリーショートケーキ」があることを、ラムもそのときまだ知らなかった。

 

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